ジャニーズWESTにハマったきっかけ

ひたすら関ジャニ∞について語ってきたが、実を言うとジャニーズWESTのことも好きな私。ジャニヲタ用語で言う‘‘掛け持ち’’。今回は何故ジャニーズWESTにもハマったかを綴ろうと思う。

 

事の発端は2013-2014年のジャニーズカウントダウンLIVEだ。ここで2014年4月に関西から関ジャニ∞以来となるグループがデビューするということが発表された。私の記憶が正しければこの時メンバーは4人でグループ名も『ジャニーズWEST4』だったはずだ。(違ったら本当に申し訳ない)そして4月。テレビを見るとそこには4人ではなく7人の姿が。正直言ってドラマご○せんを見ていなかったのでメンバー7人誰一人知っている人はいなかった。が、関ジャニ∞の直々の後輩もいうこもあり、デビュー曲であるええじゃないかのCDを購入した。カウントダウンではいなかった3人の区別がびっくりするほど付かず、顔を見ては○○!と1人で謎のトレーニングをしていた。今思えば懐かしい。そして彼らに何があり4人ではなく7人でのデビューになったのか、その経緯を知った。(気になる方はぜひ調べてください。)センターでもある重岡大毅くんのことが好きになっていった。まぁ真ん中でニコニコされれば無理もない。(単純)

 

デビュー後はテレビでみたらあ、出てるな~程度だった。そこからとある転機が訪れた。それは彼らがデビューして1年後の2015年秋。私の友人から『ジャニーズWESTのLIVEチケットが余ってるんだけど行かない?』との連絡が来た。元々嫌いではないグループ。そしてヲタクな私は空席を作りたくないという思いもあり『行く』という選択肢しかなかった。ジャニーズWESTのLIVEは2016年の1月末だった。2016年のお正月に関ジャニ∞のLIVEに行ったはずなのに何故かお金があった。そしてジャニーズWESTのチケット代がすごく安かった。誘ってくれた友人は小瀧担で同じ高校の重岡担とその子の友人と行くこととなった。そこで大問題が起こった。それはその重岡担が同担拒否をしているというのだ。私は重岡くんが1番好きだった。だから小瀧担の友人に『そこまでファンじゃないから。』と言うことを伝えてもらうことにした。申し訳無さが残りつつLIVEまでの期間を待っていた。するとここでまた事件が起きる。2015年の冬といえば錦戸亮主演のドラマ『サムライせんせい』がテレビ朝日系列で金曜23:10~24:10まで放送されていた。ここで私は今の担当である藤井流星と出会う。寅ちゃんを演じる彼はかっこよかった。惚れていった。が、LIVEは赤い服を着て行った。恐らく時間がなく青色の服が準備出来なかったのだろう。

まず会場の小ささに驚いた。いや、寧ろドームとは何なのか。そっちに疑問を抱いた。赤い服で行ったにも関わらずLIVE中目で追うのは藤井流星。確実におちていく自分がいた。LIVEは本当に楽しかった。彼らの若さなどもあり、本当に楽しかった。LIVE終了後はすぐ家へと帰った。もうジャニーズWESTのLIVEには行かない、そう思っていた。がしかし、その重岡担の子から『仲良くなりたい』との連絡が来た。そこから仲良くなるまでそう時間はかからなかった。むしろ、すぐ仲良くなれた。LIVEの時はよそよそしかった(人見知り)が今ではそんなことまるっきり無い。当時のことを振り返ると彼女は決まって『私人見知りが激しいから。』という。私自身が人見知りではないだけに彼女の人見知り具合には驚いた。

 

そんなこんなでジャニーズWESTにハマった。…わけではなかった。当時の私は掛け持ちをしたくなかった。その当時は大倉忠義のことが大好きだったし、何より掛け持ちはお金がかかる。高校生の私はバイトが出来るわけではないので勿論お金はない。そんな状況で掛け持ちができるはずなどない。そう思っていた。だからFCに入会することもなく、CDを購入するようなこともなかった。TVや雑誌をチェックする、それだけで満足していた。その分もちろん関ジャニ∞に貢いでいた。が問題が生じる。先程も述べたように、関ジャニ∞のLIVEの約3週間後にジャニーズWESTのLIVEが決まってあるのだ。そんなの心臓も持たないしお金もなくなる。私のお年玉なんて貰った次の日には半分なくなり貰った月末には少しも残らない。嫌になっていたがLIVEに行かないという選択肢はない。それからと言うものの、小瀧担の友人が違うアーティストにハマり、重岡担の友人が関ジュにハマった。その時私達は大学受験を控える高校3年生だった。私は一足先に推薦で大学が決まっていた。友人2人は国立入試があるためいつも入っていた地元福岡は入れないこととなった。おまけにその年は福岡公演がまさかのセンター入試とかぶるという最悪な年となった。私は秋に推薦で大学がもう決まっていたが学校からセンターを受けろと言われたので初日だけ受けた。ということは2日目はLIVEに行ける。まぁヲタクならLIVEに行きたい。が私はFCにまだ入会していない。友人に頼むのも申し訳なくなった。(この年からデジチケになったから名義人不在は怖かったのもある。)でも行きたい。悩んだ末、私はTwitterでチケットを探した。すると同学年の方から譲ってもらえることとなった。高3の時のクラスメイトのなんとなくジャニーズWEST知ってるぐらいの子と入ることにした。そしてセンター初日が終わりセンター2日目。=LIVE2日目。勿論デジチケ。怖さでしかない。その方は重複だったため、悪い方がこちらに回ってくる。だからLIVEを楽しむことだけを楽しみにしていた。そしていざ会場内へ…。どうやらバクステ前列とスタンド上段だったらしい。勿論貰ったチケットはスタンド上段のチケット。そこでその方と別れ、一緒に入る友人とあと2人はじめましての方と席に向かった。するとするとなんということか、そこはスタトロ1列目の席だったのだ。これは勝ち組になりすぎた。もし譲ってくれた方に変わってといわれたらどうしようかとも思ったがそんなこと言ってこなかったので安心した。定価で譲ってもらい、スタトロ1列目だなんて必ずファンサを貰わなければならない、そう感じた。そしてこのLIVEが完全に堕ちることとなった、掛け持ちを決めた出来事となった。

 

LIVEは純粋に楽しかった。彼らのLIVEは本当に楽しい。C&Rも沢山あるし皆でダンスをしたり、コントがあったりゲームがあったりと本当に楽しい時間だ。

そしてスタトロでメンバーがやってきた。もう近いしかっこいいし輝いてるしでほぼほぼ記憶に残っていないのが事実。(笑)なんともったいないことか…(笑)

まぁはじめに言っておこう。自担の藤井流星と目が合い、指差しをしてくれた。もうこれは震えたし泣いたし時が止まった。彼のかっこよさを改めて知った。これが私の初のファンサとなった。それはまぁ落ちるに決まっている。あんなイケメンに見られたのだ。他のメンバーにもファンサされたが割愛させていただきます。それからもう藤井流星が更に好きになった。

 

そのLIVEから約半年後。友人2人が降りだしたので、FCも退会するかもしれない、と思い私はやっとFCに入会した。ちょうど大学生になったからお金も以前より増えたから掛け持ちをすることに抵抗がなくなった。それからLIVE発表があり勿論LIVEへ行った。4年連続でLIVEに行っている。もうジャニーズWEST藤井流星の沼から抜け出せないことが判明した。

 

 

以上のことがあり、私は完全に藤井流星の沼へと落ちたのだ。

 

 

eighterになったきっかけ

 

まぁ元を辿ればややこしいのだが、、、知り合い。そう、知り合いにeighterがいた。大倉担だった。その知り合いの影響でまず先に母親が関ジャニ∞を意識し始めた。母親曰く、『デビュー当初は上3人がうるさくあまりいいイメージではなかった』らしい。

がTVを見てみると1人イケメンがいたらしい。その名は大倉忠義。そう、私の母親もかれこれ数年大倉担をしている。その母親の影響で私もTVでよく関ジャニ∞を見るようになった。元々嵐が好きで関ジャニ∞のことは勿論知っていた。(その時何故大倉忠義を見つけられなかったのか今でも後悔している。)ジャニーズについて知っていたし親の遺伝をきちんと受け継いだミーハーでもある私。しかし、照れ屋?ツンデレ?なのか知らないが友達以外の前でジャニーズについて話す、はしゃぐことはなかった。その知り合いに『大倉くんのこと好きなの~?好きになった~?』と聞かれても『いや、、(^_^;)』の一点張り。だから勿論母親もその時既に私が関ジャニ∞大倉忠義の沼に落ちていたことは知らないだろう。(いや、親の勘、女の勘で分かってたのかもしれない…)

 

問題はそこからだ。勿論TVも録画、CDやDVDを買ったりする所謂‘‘ヲタク’’生活が始まった。

先程も述べたようにまぁ家では静か静か。びっくりするほど静か。今となっては親と一緒にかっこいー!とか可愛いー!とか今のヤバくない?!などと言っているが当時は何も言わなかった。TVでの感想は全ては同じ学校の幼馴染のeighter。この子には全て話していた。というより2人で学校でワイワイ話してたから周りからして見れば相当うるさかったと思う。この場を借りて謝りたいと思う。本当にごめんなさい。この幼馴染と何故ほぼ同じ時期にeighterになりお互いがeighterであるのかを知ったのか、そのことについては昨年の11月にその幼馴染から聞いて驚いた。まぁこのことについてはまたいつか綴ろう。(私には1ミリも記憶がなかった。)

 

まぁこんな感じで私の周りの環境でeighterになったといっても過言ではない。

 

高校生になってからはもう今思い返せば若いな、、と思うようなことしかしていない。勿論楽しかったからいいのだが。関ジャニ∞を好きになってeighterのお友達も出来た。これは本当にいいことだな、と思う。

 

今回はeighterになったきっかけしか話すつもりはないからここで終わろうと思う。

 

今年を振り返って

初めてはてなブログというものを綴ってみる。
ヲタクにとって必須とも言えるこのはてなブログ。2018年がそろそろ終わろうとしている今、綴ってみる。
まぁ何を綴るかは簡単。今年1年を振り返りたいと思う。
今年1年は本当に色々あった。色々あったというより色々ありすぎた、の方がしっくり来る。

 


2018年1月~3月はもうすぐ高校を卒業し、大学生になるということで本当に開放感に満ちあふれていた。大学受験は11月で終わっていたのでゆうゆうと残り僅かな華のJKとやらをしていた。3月頭に高校を卒業して1ヶ月。4月頭に大学に入学した。友達できるのか、他所から来た子達に地元を案内する~!などルンルンでいたそんな矢先。嫌な記事が全国に出回った。

 

関ジャニ∞渋谷すばるグループ脱退説』

 

本当に最初は信じていなかった。というより信じる気は一切無かった。写真も数年前のソロコンの時の写真が使われていたり、週刊誌そういうの好きよね~エイト狙われてる?など軽くみていた。でも、あのメールが来てからはこれが事実なんだ、そう思った。
コメントを見て、会見を見て、何故今なのか、何故今年なのか、何もかもが不思議で謎で理解出来なかった。すばるくん本気?関ジャニ∞のボーカルは貴方しかいない。これからの関ジャニ∞はどうするつもり?色々な疑問が頭を過ぎった。他のメンバーのコメントには本当に泣いた。会見での自担の態度はびっくりするぐらい悪く、どうしたらいいか分からなかった。だからその時は自担を見て笑っていた。いや、笑うしかなかった。私も含めすばるくんが脱退することを受け止めたくなかったからだ。それに末っ子である自担が理解出来ていないまま気持ちの整理が出来ていないまま会見に臨み、全ての疑問をすばるくんにぶつけたし今でも理解出来ていないとのことを言っていた。だが、それでもすばるくんを嫌いにはなれなかった。そう彼が言ったとき、私の顔から笑顔は消え涙腺が一気に崩壊した。あぁ、そうか。これは事実でメンバーは受け入れるしかなかったんだ。受け入れたくなかったけど受け入れた。すばるくんは脱退するんだ。そう思った。

 

すばるくんも安易な気持ちで決断したわけではないことは分かっている。彼はこの2018年に事務所を退所するのだ。海外に短期留学やソロ活動に専念ではなく事務所を退所。彼の自分の歌がどこまで通用するか、音楽・歌に対する熱い気持ちが伝わった。

そこからの私はもう何もかもが崩れたかのようだった。私には勿論自担がいるがすばるくんに何度も何度も降りかけたぐらいすばるくんが好きだった。かっこよくて可愛くて最近やっとファンサを覚えたすばるくんのことが本当に好きだった。ショックのあまり立ち直ることが出来ず、すぐeighterの友達に電話をしたり仲の良い友達からは大丈夫?との連絡が度々来た。(まぁ大丈夫なわけがないのだが。)

 

日は明けて月曜日。1限から授業があったため重たい足取りで学校へ向かった。1限の授業は音楽を聴くだけという何とも楽な授業なのでルーズリーフに今までの思いや疑問を全てぶつけた。周りの友達からは心配もされたしそっとしてくれた。他のクラスにeighterさんが居ることは知っていたがどの子か分からず誰担かも分からなかった。友達経由でその子を知り(ちなみに安田担だった)その子とはじめましてとは思えないぐらいの勢いですばるくん脱退のことについて語った。

 

何日、何ヶ月と立ち直れなかった。
次のツアーは6人でしますと聞いた時、LIVEに行くことを躊躇った。すばるくんがあそこにいない関ジャニ∞なんて関ジャニ∞じゃないし見たくない。6人なんて嫌だ。そう思ったからだ。だがまぁヲタクたるものやはり自担に会いに行きたくなる。地元の福岡を応募した。

 

そこからあっと言う間に時は過ぎ7月。全てのバラエティー番組ですばるくんラスト出演となりはじめた。どの番組でもすばるくんはかっこよくて可愛くて、アイドルをやめるには勿体無いと思った。
それと同時に頑張ってほしいという気持ちも芽生えたがやはり前者の気持ちが勝つ。何故やめるのか、不思議で仕方がなかった。

福岡はジャニ勉がおよそ1ヶ月遅れで放送しているので8月頃にすばるくんのラスト出演回のジャニ勉を見た。横山くんとのロケで遭遇したeighterさんには感謝しかない。
スタジオでも今までの振り返りをしてくれて流石カンテレさんだった。

 

7月15日。すばるくん脱退後初のツアー"GR8EST"がスタートした。WSで映像が出たときは何とも言えない気持ちになった。本当にステージの真ん中、7人の真ん中に彼がいないのだ。
そしてツアー直前に安田くんの体調についても発表があった。ツアー中止にまでなりかけたのにツアーをしたい安田くんには涙が止まらなかった。思うような動きは出来ないけどファンが楽しむから楽しんでね、無理はしないでね、そう思った。と同時に3,4ヶ月で良くなるとの報道だったため、福岡公演ではある程度は動けるのでは?といけないことだが少し期待していた。

 

すばるくんのいないツアー、安田くんの体調を気にしながらのツアーという何とも言葉にしにくいツアー。名古屋でのKURA Tik をレポで見た途端、大阪公演に入りたくなったので急遽大阪に飛んだ。初めての京セラドームで6人になった関ジャニ∞を見た。そこには今までと変わった関ジャニ∞、今までと変わらない関ジャニ∞が目の前にいた。すばるくんがいなくても大丈夫、やっていける、と安心した。(LIVE中涙腺崩壊していたが。)

 

福岡公演の直前、また事件は起きた。錦戸亮が週刊誌に撮られたのだ。(正確には女によって売られた)その時はこの大事な時に何してるの?と錦戸くんには幻滅した。福岡公演で彼を見ないと謎の決心をし、自担をずっと目で追っていた。(どちみち自担しか見ていないのだが。)


福岡公演も終わり"来週は台湾公演だ"そんな時再び事件は起きた。今度は大倉忠義が週刊誌に撮られたのだ。(こちらも正確には女によって売られた)本当に呆れた。すばるくん脱退の会見の時の態度、言葉はどこへ行ったのか、会見の時の気持ちをラジオでぶつけてくれたがあの時の言葉は何だったのか、ヤスの代わりに俺が全力で踊ると言ったあの言葉は何?何を信じたらいいのか分からなくなった。別に遊ぶなと言っているわけではない。アイドルという狭くきつい仕事の中で彼女を作ったり遊んだりしょうがないことだと思っている。全てはタイミングが悪かったのだ。このタイミングで?は?と思い自担に対して冷めた。ありえないと思った。すばるくんが脱退にあたって今後の関ジャニ∞が怖い、壊れていきそう、4月の会見後、私は親や友達にこう言っていた。このことが当たりそうで怖くなった。

 

それが現実になろうとしている今。大倉忠義がストーカー被害の訴えをレンジャーでされた。このレンジャーよりも少し前のジャニ勉で大倉忠義がファンによって空港で付きまとわれているとのトークがあった。丸山隆平村上信五によって笑いに変えられていたが、当の本人は案の定、笑っていなかった。そしてレンジャーには『大阪に行くのがしんどい。憂鬱。』とのことが書かれていた。
その時、ファンであれば、担当でなくても大丈夫なのかと不安になり、心配になるはずだ。ましてやかなりコアなファンである私は今までだとそのストーカー出てこい、私がそのストーカー捕まえるなど言っていたに違いない。しかし、今彼に対して感情がなく、はっきり言ってどうでもよかった。ファンではない世間の目の"アイドル、芸能人だからそれぐらい当たり前だろ、覚悟しとけよ"という感じ方でいた。

 

本当に自分でも驚いた。こんなにも冷めてたんだと思った。グッズも売れる物は売ったし画像も相当消した。周りの人たちには相当驚かれた。あんなにも好きだったのに。降りるなと何度も言われた。そこからの自分の感情はよく分からなくなった。彼は何者なのか、何故彼のことが好きだったのか。かっこいい、可愛いの感情がぱったりとなくなってしまった。eighterである親にも勿論このことは伝えた。若い子の考えてること、気持ちはわからないと言われた。私もこんなことはじめてだから分からない。本当に今まで大倉忠義が好きだったのか、関ジャニ∞が好きだったのか?でもこの関ジャニ∞を好きだった数年は私の青春であり思い出ばかりだ。eighterでよかったと思うことは何度もあった。本当に楽しかった。完全に降りるかどうかなど今の私には分からない。


そうこうしているうちに12月になった。本当に早い1年だった。何が起こっているのか分からない状態で12月になった。今年はもう終わってしまう。それと同時にすばるくんはジャニーズ事務所を正式に退所する。彼の選んだ未来、道なので応援するしかない。ファンとは本当に虚しくなるが所詮そのようなものだ。こちらの声など届かない。届くはずがない。だが彼らの選んだ道を応援することはファンの使命だと思う。これからの関ジャニ∞はどうなるか分からない。私自身も関ジャニ∞に対してどのような気持ちになるか分からない。それでも応援し続けて行こうと思う。

 


最後に。
すばるくん、今22年間本当にお疲れ様でした。
私たちに素晴らしい景色を見せてくれてありがとう。